2011年 04月 01日
センス オブ ワンダー
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今だからこそ改めて読みたいと思い、ゴソゴソと引っぱり出してきました。
レーチェル・カーソンの「沈黙の春」。

レイチェル・カーソンは、1962年に著書「沈黙の春」で、
世界で初めて化学物質が環境に与える危険性を告発した
アメリカの海洋生物学者です。

レーチェル・カーソンの感性の森」こちらも観てきました。


映画『レイチェル・カーソンの感性の森』公式サイト


私たちが生まれながらに持っている
神秘さや不思議さに目を見張る心=センス・オブ・ワンダーを育むことの大切さ、
それらが大人になっても失われてしまうことのないよう
願いが込められたエッセイ「センス・オブ・ワンダー」を
ドキュメンタリータッチで再現、映画化したものです。


卒園式の翌日、この震災が日本を襲いました。
それでも、変わらずに季節は移り、新しい生命が目を覚まし、
穏やかな光が大地を射しています。

ただ、いま改めて「沈黙の春」を読み返そうと思ったのは、
やはり原子力発電の問題。
今まで本当にお世話になった。
けれど、これからの私たちの在り方、
自然のもつ回復力の限界を超える人間の奢りに、
今一度、警鐘が鳴らされたのではないかと思わずにはいられない。

そして、センス・オブ・ワンダー。
また来週から幼稚園がはじまります。
これから私が子どもたちと接して行く中で、変わらずに、決して見失わずに、
迷わず手を差し伸べてあげられるように・・

休むことなくどんどん大きく成長してく身体とともに、
強く大きく豊かに心を広げていってもらいたい。


たくさんの情報を知りすぎてしまった大人たちは、
耳にすること目にすることひとつひとつに心をぐらぐら揺さぶられるのです。
多くを抱えすぎて前が見えにくくなってしまった時、
すぐに出会えるように、写しておこうと思います。

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寝る時間がおそくなるからとか、
服がぬれて着替えをしなければならないからとか、
じゅうたんを泥んこにするからといった理由で、
ふつうの親たちが子どもから取り上げてしまう楽しみを、
わたしたち家族はみなロジャーにゆるしていました。
ともに分かち合っていました。

子どもたちの世界は、
いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。
残念なことに、わたしたちの多くは大人になる前に
澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、
あるときはまったく失ってしまいます。

もしもわたしが、
すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、
世界中の子どもに、生涯消えることのない
<センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性>を
授けてほしいと頼むでしょう。
この感性は、やがて大人になるとやってくる怠慢と幻滅、
わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、
つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、
かわらぬ解毒剤になるのです。


「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。
子どもたちがであう事実のひとつひとつが、
やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、
さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。
幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。
美しいものを美しいと感じる感覚、
新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、
賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、
次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。
そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。
消化する能力がまだそなわっていない子どもに、
事実をうのみにさせるよりも、
むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうが
どんなにたいせつであるかわかりません。

人間を超えた存在を意識し、おそれ、驚嘆する感性をはぐくみ強めていくことは、
どのような意義があるのでしょうか。
自然界を探検することは、
貴重な子ども時代をすごす愉快で楽しい方法にひとつにすぎないのでしょうか。
それとも、もっと深いなにかがあるのでしょうか。
わたしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています。

 「センス・オブ・ワンダー」より
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by miomio0208 | 2011-04-01 15:17 | art|芸術


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